嫌な人のいうことを聞くようにしています

生徒からもらったコメントを紹介します。

 

「最近は嫌な人の言うことを聞くようにしています。」

なぜなら

「その方がやわらかい人になれそうな気がするから。」

 

だそうです。

私は、自分をよりよく進化させようと試行錯誤しているのが素晴らしいと思いました。

私には「嫌な人の意見を聞く」→「やわらかい人になれる」その仮説が正しいのかどうかわかりません。ぜひ、それを常に問いつつ、自分の経験、思考を通して、自分なりの結論を出してもらいたいと思います。

 

 

最近の塾通信で、褒めることが必ずしも正しい教育方法だとは思わない、と私の現時点での考えを述べたと思います。その理由を記載したものの、先生や生徒に塾通信の原稿をみてもらったところ「何を言っているのか意味が分からない」といわれてしまったので、通信ではその理由を削除したのですが、今回、この生徒の例を用いて、もう一度説明を試みようと思います。

 

「褒める」をよく見ていると、心からすごいと思ったことを表現するケースと、その言動をみていて「それいいね」と評価するケースの2つがあるように思います。(他にも意見があったらぜひおっしゃってください)

前者の場合はいいと思いますが、後者の場合は価値観を誘導していることになり、これが繰り返されると自分なりの価値観を持てなくなってしまう可能性がある、と私は考えています。そして大人はしばしば、誘導する目的で褒めることを使っているように思います。

 

褒められることはうれしいです。快感です。だから子供は自分で判断するのではなく、大人に褒められたいという基準で動くようになってしまう。そこに思考はありません。

もちろん、子供は知らないことが多いですから、ある程度は判断基準を大人が入れていかなくてはなりません。私も自分の子育て、生徒との関わりのなかで誘導を使っています。

でもできるだけそれが強い誘導にならないようには気を付けています。外部からの価値観ではなく自分で判断して考えられるようになってほしいからです。特にいわゆる「先生」業をしている私の意見は強力なものになりがちですから、より注意を払っています。私自身、中学の時にこれで苦しんだ経験がありますから。

 

 

 

この生徒の「嫌な人のいうことを聞くようにしている」というコメントを見たときに、私は瞬間的に「この子にとってはこの価値観が合っているかもしれないな」と思い「それは素晴らしい。さすがです」と書きそうになりました。でも「なるほど」にとどめておくことにしました。「それが答えだ」的な表現になってはいけないと思ったからです。

実際に「嫌な人のいうことを聞くようにすること」がいいのかどうかは、この塾の保護者様だって意見がわかれると思います。もしかしたら、私たちは「人の話はしっかり聞け」といわれて育っているから若干「よい」と考える方が多いかもしれない。あと「う~ん、どっちだろう」とすぐに答えが出ずに考える方も多いかもしれません。

 

これは経験して、考えて、自分なりの正解を見つけ出すしかないのです。経験して、考えて自分なりの文脈を伴った価値観を作り上げていけたら、自分がぶれなくなるし、周りに流されなくなるし、自分の考えをもてるようになると思います(あくまで「思います」)。

価値観を誘導する「褒める」はこの感性の伸展を妨げる可能性があるのではないかと思っていて私は若干注意しています。あと私の経験上「但し書き」がしづらくなります。但し書きについてはまた別の機会に述べたいと思います。

 

 

昔のブログに褒めることに疑問を持っている旨の記事が出てきました。 → 褒めて伸ばせ、というけれど

このときとも少し考えが違っている気がしますが、少なくとも9月の時点で「褒める」にちょくちょく違和感があったということが分かります。日記は思考の移り変わりがわかるからいいなあ。

褒める、についてはそんな感じに思っています。これからまた変わってくるかもしれません。

 

 

とりあえず、よりよく自分を成長させようとしているその子は素晴らしいです。心は落ち着いているし、常に周りへの感謝、そして気配りは欠かしません。私の中学の頃と比べたら全く比較にならないほど人間ができています。これからたくさんの経験を積んでもっともっと素敵な人間になってくださいね。