生徒の質問から考えたこと

前回の「期待」についての記事は少し言葉足らずだったので、付け足します。

 

期待はしないといいましたが、してもいいのです。期待をして、望みをもたなければ生きていても楽しくありません。

ただ、期待することで心が動いたり、失望が生まれたり、相手にコントロールされる可能性があるので、そういう種類の期待は私は気をつけている、という趣旨を伝えたかったのでした。

 

さて、それでは今日は、

「なんでベッキーはあんなにたたかれなきゃならんの?僕にはわからん。先生教えて」

と生徒に言われたので、ベッキーについて。

 

といっても、私は人に道徳性を説けるような人格者では到底なく、大変だね、くらいしか言葉がでてこないので、それに関連することで考えたことを書きたいと思います。

 

 

 

今、日本は自由が拡大しています。

昔に比べ結婚しない人はとても増えた
片親は全然珍しいことではない
同性愛が認められるようになった
フリーターという言葉の定着
なりたい職業の上位にキャバクラが入るようになった
地縁社会の衰退

などなど。昔は忌み避けられていたことが、どんどん世間に認められるようになってきたように思います(地縁社会は忌み避けられていたことではないです)。昔より、より自由を求めるようになってきました。

 

 

それなのに、ベッキー系の話についてはかなり世間の当たりが厳しいです。私は完全に他人事なので、自由が拡大していってもこの件はだめなんだなー、とそんな視点でとらえてしまいます。

 

なぜこんなに厳しいのか。認められないのか。その原因はどこにあるのか。と考えていくと興味深いです。

 

 

これだけ叩かれるということは、人の心を強く刺激する、ということでもあります。

ではその要因は何かといったらあるキーワードにたどり着きました。そしてそのキーワードを包含するものは他にもいくつか思い浮かびますから、そういったものには少し扱いを考える必要があるかもしれません。

 

 

今はおそらく「ベッキー」という単語に心を刺激する作用が含まれてしまっているだろうと推測します。この記事で「ベッキー」という文字をみて心が少しざわっとした人はけっこういるのではないでしょうか。

 

言葉は心を動かすのです。だからこの仕事をしている以上、「言葉」そして「人の心理」について深く考えざるを得ず、人の感情や行動に結び付く言葉には敏感に反応してしまいます。

この仕事は、行動につながるきっかけとしての言葉を投げかけることができたら、それで仕事完了みたいなところがありますから、生徒一人ひとりのきっかけ言葉を見つけていきたい。そしてできるだけ多くの子に、塾にいったら勉強にむかえるようになった、勉強が楽しくなってきた、そう思ってもらいたいです。そのために私は昨日も今日も明日も頭を使って勉強するのです。

ベッキーは導入だけで、最後は全然関係なくなってしまいました。