ベストを尽くせ

From:眞田

昨日ある生徒に、「ベストを尽くすことに意識を向けよう」と話しました。

運動でも勉強でも、結果を目標にしたところで、それが実現できるかどうかは自分のコントロール範囲外のことも絡んできます。だから目標としている結果を得られたら、目標達成であり、得られなかったら目標未達成とすると目指すべき方向が間違ってくる可能性があり、私は結果を目標とするのはあまりよくないと考えています。

※私はよく結果がすべて、という言い方をしていますが、このことと「結果を目標にすべきではない」は矛盾していません。矛盾を感じる生徒がいたら、説明しますので、言ってくださいね。

ベスト8を目指して練習を重ねてきても、1回戦で優勝候補と当たったら初戦敗退してしまうかもしれません。

100点を目指して勉強していても、知らない知識や考え方が問われて100点を取れないかもしれません。

なぜ試合で負けてしまったのか、なぜ100点を逃してしまったのか、と反省し対策を立てることは大切ですが、結果それ自体はコントロールしきれないところもあるわけですから、やることやったら「仕方ない」でいいのです。そうしないと「自分」がかわいそうです。人生、どうしようもないことなんてたくさんありますからね。

何度も言っていますが、どうしようもないことを、どうにかしようとすると感情が取られて冷静でいられなくなるし、判断がぶれぶれになる可能性があります。

だから、自分のベストを尽くす、ことが大事になるわけですが、私も子供のころ、よく先生から「ベストを尽くせ」と言われました。

で、言われたときに何を思っていたかというと、

「先生、ベストを尽くすっておっしゃいますが、ベストって何でしょうか」

「先生、ベストの内容を具体的におっしゃってください。そうしないと達成、未達成が測れません」

もちろん、心の中で思っても口にしませんでした。先生の機嫌を害して、「やれることをすべてやれってことだよ」「屁理屈言うな」と怒られるだろうと思っていたからです(「やれることすべてって何?」ってまた私は思ってしまうのです)。でも、私にとっては「屁」な理屈ではなくて、真っ当な理屈だったのです。だって具体的じゃないと目指しようがないからです。

また、私が先生を観察して判断したことは、ベストを尽くせという先生は、ベストを尽くすとはどういうことか考えていなくて、ただ言葉を使っているだけ、というものだったので、自分なりに「ベストを尽くすことは方針として正しいことなのか」「正しいのであれば、ベストを尽くすとは具体的にどういうことなのか」を考えることになりました。

私なりに考えて、はじめに述べた通り、「ベストを尽くす」ことは方針として正しいし、ベストを尽くせたかどうかのテストについての客観的判断基準も作りました。それを参考になればと思い、できる子に恐れ多いですが、お伝えしたのです。

勉強が苦手な子には嫌味に聞こえてしまうかもしれませんが、トップ層の子は480点を取ってもそんなに嬉しくないのですよ。間違えたところを見直すと、「なんでこんな間違えをしたのだろう」「正解できたはず」「自分なら100点取れるテストだったのに」そんな感情が出てきて、全然納得できないのです。

500点取らない限り本当の満足はないのですが、それだとハードルが高いので、「自分のベストを尽くせたら満足」として、やるべきことはきっちりやった自分を認めてあげてほしいです。