勉強がすべてではない

From : 眞田

中学校は8月に新学年で初めての定期テストが予定されています。

この2、3ヶ月しっかり準備をしてきた子は、これまでの自分では考えられないくらいの良い順位が出るはずなので、自分に期待してこの調子で勉強していってください。

勉強が急激にできるようになってくると、「人生、勉強がすべてではない」という意見が耳に入ってきたりします。

勉強がすべてかと言ったら、さすがにそれは違う感じがしますよね。だから「勉強がすべてではない」という意見には説得力を感じて、勉強を頑張っている自分が否定されている感覚を持つかもしれませんが、私は勉強に自信とプライドを持って臨んでいるなら気にせず自分の考えを貫いたらいいと思います。

勉強がすべてではないと自分を否定してくる人がいたら、こう聞いてみたらどうでしょうか。

「人生、勉強がすべてでないとするなら、何がすべてなのでしょうか?」

「あなたは人生は何がすべてだと考えて、日々どんな努力をされているのでしょうか?」

おそらく、勉強がすべてではないとしたり顔で発言できる人は、人生をよりよくするためには何が大切なのか考えていないし、考えていないからこそ、何か努力するわけでもなく日々を過ごしている可能性が高いです。だから、たぶん、答えられない。

これは勉強に限った話ではありません。

日々テニスの練習に明け暮れると「テニスがすべてではない」と言われ、頑張ってお金を儲けると「お金がすべてではない」と言われます。

本人は、競争や欲の世界から離れ、人生を達観した者になって、1つのことを頑張っている人を諭しているつもりかもしれませんが、でも何1つ成し遂げたこともない人が「人生はバランスが大事なんだよ」と言ったところで、あまり説得力がありません。オール1の人が「数学だけできていたって意味ないよ」と言っているようなもの。

それに、ある分野で突き抜けようと思ったら、大抵の場合は一点突破にならざるを得ないです。文武両道は聞こえはいいですが、もちろん、やれる人は頑張ってほしいですが、実際はかなり難しいです。1点に集中してその分野で突き抜けることができれば、それは十分に称賛に値するものだと思うので、誇りを持って自分の志に取り組んでいってください。

「〇〇がすべてではない」と同じような文脈で使われるのが、「〇〇だとは限らない」です。「勉強してもお金が稼げるようになるとは限らない」「お金持ちになっても幸せになれるとは限らない」「東大卒だからといって、社会で活躍できるとは限らない」などなど、この種の文章も無限に作って相手を攻撃できます。

これも同様に、嫉妬やコンプレックスに基づく発言であることがほとんどで、否定はするものの自分なりの答えを持ち合わせているわけではありませんから(持っていたとしても浅薄なもの)、気にする必要はないですね。やっぱり私は「〇〇がすべてではない」「〇〇とは限らない」と発言できてしまう人は、どうも思慮が浅いように思えて、耳を貸す気にはなれません。ある分野で成功している人が「〇〇がすべてではないよ」と言うのであれば、意見を伺いたいと思うのですが。