同情の世界から抜け出せ

From:眞田

息子が4月からスポ少の野球を始めて、もうすぐ1年になります。

野球に一切興味なく、ルールも知らないのに、ちょっと冬に雪山で雪合戦しただけで、「野球でもやろうかな」と言って入団することになりました。

初めは初心者としての練習をしていましたが、野球部の人数が少なく、ほぼ全員が試合に出ざるを得ない状況であったため、夏ぐらいから上手な子たちとの練習に加わることになりました。

下手でうまくいかず、よく泣いていました。「僕、初心者なんだよ!」「初心者なんだから初心者用の対応をしてよ!」のように同情を求める気持ちから涙が出てしまっているように思いました。でも、泣いたからって練習が易しくなるわけでもなく、苦しくても大変でも練習についていくしかないのです。これはいい経験だなと思って見ていました。

私たちは生まれたとき同情を買って生き延びます。泣いてわめいて「おっぱいちょうだい!」「おむつを替えて!」と100%同情を買って生きていきます。誰かに世話してもらえないと死んでしまうのです。

成長するにつれ自分でできることが増えてきて、同情を求めることが少なくなっていきますが、私を含め大人でも同情を求める気持ちが全くなくなることはほとんどないように思います。「自己責任100%」とは言いながらも、心の底からそのようにして生きている人はほとんどいない。だからこそ「同情無しの世界に生きるんだ」と自分に言い聞かせています。

同情無しの世界とは何か。

それは「弱きものは死ね」のルールで成り立っている世界です。

誰も助けてくれない。むしろ弱いとわかったら強者が一気に襲ってきます。

アフリカの草原で、生まれたてのシマウマの赤ちゃんがいる。ライオンが赤ちゃんを見つけた。「ちょっと待って!僕は生まれたばかりなんだ!しかも生まれつき足が悪い。今回だけは見逃してよ!」とシマウマの赤ちゃんが言ったところで容赦はありません。ライオンにしてみれば、生まれたてで、しかも足が悪いなんてお腹を満たす絶好の機会以外の何ものでもない。弱きものは諦めて死んでいくしかないのです。

日本は世界の中でも有数の経済発展を遂げた国であり、公的扶助のシステムも充実しています。お金がないからといってもそれが原因で死んでしまうことはほとんどありません。お金がなければ死ぬしかないという国はたくさんあるわけで、日本に住めることは本当に幸せなことだと思います。

でもそれがいつまで続くかわからない。あくまでもシステムが持続可能な状況において救済は成り立つものです。やはり自分を守るためにも自分の力をつけていかなければならないと思います。

私は同情無しの世界に足を突っ込んで生きていて、将来息子も同じ世界に足を踏み入れるかもしれません。甘えは通用しないですし、自分で考えることができないならやられてしまいます。来年6年生になりますので、そろそろ同情の世界からは抜け出して生きていってほしいと思っています。