計測可能な領域に入れ

From:眞田

私は、学校の勉強は好きだった、と生徒に言っていて(「好き」といってもわくわくはしないし、できればやりたくない。でも好きでした)、学力は自分でコントロール可能だから、というのが理由の一つです。学校の勉強は自分次第なのだから、順位や偏差値を上げたければ、どうぞご自由に上げてください、と思っています。

そして、おそらくこれまで誰にも言ったことはないと思いますが、学校の勉強が好きだった理由はもう一つあって、それは「計測可能な領域」だからです。

私は今も「計測可能な領域に入るべし」というルールを持っており、学校の勉強はまさにそれに当てはまります。計測可能ということは、数値化できるということになります。点数、順位、偏差値などの数値を見ることで、自分の状態、自分の取り組みの良し悪しの判断が可能になります。特に子供は大人からああだこうだとアドバイスや批判や評価をされますが、こうした数値基準があることで、他者からの評価等に惑わされることを防ぎ、自分で判断できるようになります。

数値で把握するからこそ、対処できるのです。逆に数値で評価できないとなると、どうやっていけばいいのかわかりません。

気づいている人もいますが、この塾には変な機械があります。数字が表示されていて、何だろう?と思っているかもしれませんが、あれは二酸化炭素の濃度を測る機械です。部屋を換気する際の判断に使っています。(二酸化炭素濃度が高くなると、集中力が欠けてきたり、眠気が出てくると言われています。特に夏や冬は窓を閉め切ることが多くなるので、二酸化炭素濃度には気を遣っています)

空気が汚いかどうかは、わざわざ計測器を使わなくたって分かったりするものですが、人間の感覚はそれほどあてになりません。なぜなら環境に慣れる性質があるからです。多少匂いがあったとしてもその環境に居続けると臭覚がマヒして匂いを感じなくなるし、多少の音があったとしても、慣れると気にならなくなるものです。

実際に、そろそろ換気したほうがいいな、と思うこともありますが、何も気になっていなくてふと計測器を見ると、二酸化炭素濃度の数値がマックスになっていて計測不能のときもあります。こういうのをみると人の感覚で良し悪しを図るのは危険だと思うのです。

先日面談をしたときに、ご自身で事業をされているお父さんが、「毎年目標数値を持って仕事に臨んでいる」とおっしゃっていました。やはりそうですよね。仕事をする上で、一年の目標が「いい仕事をする」とかだったらわけがわからないです。目標の達成、未達成の評価が難しくなります。