期待と失望


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※体験授業や保護者面談は基本的に指名があった場合のみ、眞田が担当します


 

From:眞田

 

希望や期待は私たちの生きる源泉です。

 

明日は今日よりもいい日かもしれない

今勉強を頑張ったら、行きたい高校にいけるかもしれない

高校にいったら、かわいい(かっこいい)子に出会えるかもしれない

いい大学にいったら、有名な会社に就職できるかもしれない

クリスマスになったら、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるかもしれない

 

希望や期待があるから、私たちは今を生きれるし、未来のために努力することができます。

 

ただ私は、自分が期待していることに気づいたときは「期待は失望が準備される」と言い聞かせるようにしています。

期待はしてもいいのです。してもいいのですが、期待したと同時に失望がそこに準備されていることを認識していないと感情を取られる可能性があるから、「今期待してしまったから、失望君も現れてしまったな」と思うようにしています。

 

クリスマスはプレゼントをもらえることを期待していたのに、朝起きたらプレゼントが枕元になかったら、残念な気持ちになりますよね。「期待は失望が準備される」というのはそういうことです。貧乏人の私は、子供の頃クリスマスプレゼントをもらえることを期待することはできなかったので、なくても失望することはありませんでした。

 

 

私は中学生になった息子に勉強することを期待していました。

本人も中学になったら、勉強を頑張る、と言っていましたし、勉強のセンスも悪くなかったからです。だから、「岡崎高校か時習館高校に進学してくれ。そうしないとお父さんが詐欺師であることがバレてしまう」そう言っていました。

 

でも、勉強を頑張ると口でいっただけで、本心はゲームをしたい、でした。言葉よりも行動の方が本心を表します。時間があれば、ずっとゲームしています。英単語が全然覚えられていなくても、宿題がやっていなくても、平気でゲームできるようです。

だから、もしこのままずっと続くようなら、岡崎、時習館には進学できず、残念な気持ちが出てきてしまいそうなので、期待することはやめました。まあ高校はどこでもいいやと思い直しました。

 

正確にいうと、すでに少し失望してしまっているのですが、そのことに気づいて期待することをやめた、というところです。「他人のことはどうでもいい。自分は自分のことをやる」これは私のルールです。

自分の実力を証明したいなら、塾の生徒を偏差値の高い高校に進学させてあげる、今から自分が東京大学を受験して合格する、など方法は色々と考えられます。他人に頼る必要はありません。

 

 

ここまで書いたものを読み返してみて、もしかしたら、私が息子に対して、怒っている、「お前なんかしらん、勝手にしろ」と見放した印象を与えるかもしれないと思いました。私はそういう気持ちはありません。言葉通り、そのままの意味で「進学先について期待するのをやめた」だけです。

私は息子と仲が良く、一緒にいる時間は長い方だと思います。私が横になってYoutube見たり、本を読んだりしていると、隣に来てyoutube見ながらゲームしだすし、一緒に塾についてきて、塾でyoutube見ながらゲームしています。

一緒にいることで、常に会話できていますから、それで十分かなと思っています。私たち大人の大半が困ったことになっていないように、子供も困ったことにはならないのではないかと思います。だからあんまりあれこれ言う必要がない。子供は子供のタイミングで気づくときがくるはずですから、気づいたときに変わっていけばいいと思っています。