主観基準と客観基準


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From:眞田

 

主観基準と客観基準があります。

 

主観基準とは、基準が数値で定量化されていなくて、人それぞれ、現場で抱く感情が基準となります。

その場その場の状況に応じた臨機応変な対応を取れるというメリットがありますが、明確な判断基準がないため、判断があやふやになり、場当たり的な対応、近視眼的な対応になってしまいがちです。また、感情を強く揺さぶられる情報に判断が大きく左右されるデメリットもあります。

 

客観基準とは、基準が数値で定量化されているものです。

基準に則って判断すれば、誰でも同じ判断になり、ぶれがないというメリットがありますが、ルールを杓子定規に適用するため、状況に即していない判断、融通の利かない対応になってしまうデメリットがあります。

 

どちらの基準がよい、といえるものではありませんが、人はこの社会で生きていく中で自然と主観基準が育っていってしまうので、客観基準を育てる意識を持った方がいいのではないかと私は考えています。

 

「客観基準を育てる意識を持つ」と言っても意味がわからないかもしれないので、もっと端的に言うと、「勉強を頑張ろう。勉強で点を上げることを意識すれば、客観基準が育っていきますよ」と生徒に伝えたいです。(こんな表現、ちょっと前のブログにも書いた気がする。素直さを育むことと、客観基準を育むことは同じことです。)

 

「学校の勉強なんかやったって意味がない。社会に出てから何も使わないじゃないか。因数分解もサイン、コサインも一度も使わない」なんて大昔から反勉強の理由として言われています。

学校で習ったことを社会に出てから使う使わない、はどうでもよくて(知能労働者は学校で習った知識を使うと思いますけど)、それよりも私は勉強によって客観的基準に基づく論理的思考力を育むことに大きな意味があると思っています。これについては長くなりそうなので、また書きたいと思います。

 

人はとことん主観的です。これは感情的である、と言い換えることができます。

だから客観基準による判断も育てていくことで、他の大多数とは違った判断ができるようになります。

 

実は主観的基準で判断している人も、論理的に、客観的に、冷静に、しっかり情報を読み取って判断していると思い込んでいます。

思い込んでいるだけで、実際は主観バリバリの感情判断なのです。でも自分はそれに気づいていない。

 

だから勉強ができないのです。問題が解けないのです。テストで点が取れないのです。

問題が解けない理由として「自分は勉強不足だ」そうあなたは思っていますね。本質は違うんですよ。主観基準が強すぎるから問題が解けないのです。主観基準が強すぎるから、その自分を変えようとしない限り、勉強しても問題が解けるようにはならないのです。

自分が思っていることを問題に投影するのではない。願望を問題に押し付けるのではない。客観的に判断できることから考えていくのです。

早くこの転換を起こしてください。一気に偏差値が上がっていきます。見える景色が変わってきます。そして、周りの人間が(大人も含め)いかに主観的に判断しているのかに気づくようになります。

 

元旦に、ある子に勉強法とともにこの客観化についての話をしました。「よし、これで一人の人生を変えることができたぞ♪」とるんるん気分で、翌日ノート見せてもらいましたが、そこに書かれている内容は全然客観的ではありませんでした。

 

瞬間的に、ちゃぶ台をひっくり返し、湯飲みを投げつけそうになりましたが、「ちょっと待て、俺。冷静になれ、俺。教育者としてふさわしい対応をするのだ。ここで『全然だめじゃないか』と否定的な言葉を投げてしまったら、この子はつぶれてしまう。この子はこの子なりに頑張って考えたのだ。この行動が、この意識が尊いではないか。この意識を伸ばしていくのだ。今は不完全でもいい。少しずつよくなればいいのだ。短期的な利益を求めるな。

そもそも俺自身、客観化について苦戦したじゃないか。大人になってからも、億万長者に『眞田は客観化がまだ弱いね。そんな思考レベルでは感情が揺さぶられるとき、例えば扱う金額がもっと大きくなったときなどに、判断が鈍るよ』と注意されて、でもそのときの億万長者の基準の客観化は『こんなの細かすぎるじゃないか!そこまで細かな基準を考えるなんて面倒くさすぎる!』と全然ついていけなかったではないか。面倒くさいから客観化をせずに問題を解きっぱなしにする生徒と何が違うのだ。

今振り返ってみてどうだ。あの時の億万長者の判断と俺の判断はどちらが正しいと思うだろうか。完全に億万長者だろう。あのときの俺は今以上に未熟だった。青すぎてカチカチの甘み0のバナナであった。客観化できていると思い込んで、主観的判断で物事を見ていたではないか。未熟な自分のことを棚に上げて、自分の願望をこの子に押し付けるな。15歳の時の俺と比べたら、この子の方が数段レベルが上だぞ。」

 

と思い直して、「いいね。もっともっと良くなるから頑張ってね」と言葉を切り替えました。でも一瞬私の気持ちを表情出してしまった気がする 笑。敏感な子だから、私の落胆した感情を読み取られてしまったかもしれない。ま、こんなことを心の中で思っていたんですよ 笑