言葉を適切に使う


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※体験授業や保護者面談は基本的に指名があった場合のみ、眞田が担当します


 

From:眞田

 

続々と授業報告書をお求めくださり、ありがとうございます。

ここのところ毎日すごい量の文章を書いている気がします。今もこうしてブログを書いているし。

 

10分で作成完了するように、と思っていたものの、伝えたいことを書いているとどうしても長くなってしまいます。待っていらっしゃる方もいるので、文章量を減らしていかなくてはなりません。

そういえば高校生が提出してくれた問題の解法作成もできていないものもあるし、この塾がお休みのうちにできるだけ急ぎます。

 

 

塾で実施する中学生の単元テストは全部私が採点していますが、いつも気になっているのは記述問題に書かれている文章です。

私自身言葉を適切に使えていないですが(自分の文章を見返して、これおかしいなと思うことはよくあります)、学力が低い子も高い子も、文章がおかしいと思うことが多いです。言葉を適切に使えていないといいますか。

だから採点しているとよく止まります。私個人としては×にしたいけど、書いてある内容からは理解しているのはわかる。これを×にしたら生徒は心の中で「なんでこれが×なんだよ。ほとんどあっているじゃないか。表現がどうとかさ、細かすぎるんだよ」って思うんじゃないかなあ、と思って〇にしています。

 

1学期期末テストが終わってある子の答案を見せてもらいました。そしたら、記述問題が△になっていて、内容的には間違っていないのでどの部分で×にされたのか先生に確認したのか、と聞いたら、「表現がおかしいからだそうです」と言いました。

これを聞いてしまったなあと思いました。塾のテストではその子が書いたことを〇にして返却していたので、間違えたのは私のせいです。その子は学力が高い子で、私のいうことも分かってくれるので「これからは文章がおかしいと思ったら×にするね」と伝えました。

 

人は言葉をつかって、認識したり、考えたりします。

哲学者ヴィトゲンシュタインが「言葉の限界が、その人の世界の限界である」と言いました。私は彼の本意を理解していない可能性は十分ありますが、これは言われてみたらその通りだなと思います。

 

なにより、言葉をしっかりつかって考えることをしないと入試問題の国語を解けないです。

よく、国語ができるようにならない、勉強方法がわからない、という人がいますが、そういう悩みを相談すると、たいてい「本を読みましょう」と言われますよね。もうすぐ中学校で保護者会がありますけど、そのときに先生に尋ねると、たぶん「本を読むといいですね」って言われると思います。

本を読むこと自体はいいと思いますが、それで現代文の点数がどんどん上がっていくかといったら、私はそうは思いません。どう考えたら、本をたくさん読む→点数が上がる、となるのだろうか。本当に点数を上げたければ、もう少し具体的トレーニング方法を考えなくてはなりません。

とは言いつつ、私もこれまで保護者様から、「国語を上げるにはどうしたらいいですか?」と聞かれたら、「本を読みましょう」「問題を解きましょう」と言ってきました。申し訳ありません。保護者面談の場で方法論を話してもなあと思ってしまうのです。学校の先生も同じかもしれないですね。面談の時間はとても短いですし、話ようがないのが現実です。

 

私は、現代文を解く思考フレームはある程度出来ていて、高校の時、一番偏差値が高かったのは国語でした。これまで2回だけですが、100字程度の記述問題を解答と一言一句違わない解答をつくったことがあります。高校入試の問題はこれから変わるので記述問題の重要性は下がりますが、この事実だけでも、国語の解き方が定まっていない子にとっては、驚きとともに、これは何かコツがあるんじゃないか、と思うのではないでしょうか。「理屈臭い先生の現代文講座」みたいなのを夏期講習でやったら面白いかなと思いますが、そんなこと思って何年も経っています。もちろん、今年もやりません。

これから入試に向けてバリバリ頑張っている中学三年生はこういったことも伝えていきます。難関高校(または現時点の自分のレベルより高い高校)に合格するための道はつくり、何をやればいいかを提示します。様子を見ながら必要なアドバイスをしていきます。でも塾には合格させてあげる力はありませんので、自分で努力して合格してください。

 

 

どんどん話がずれてきていますね。誰に向けた文章なのか、伝えたい対象が入り混じっていますし、ダメな文章の一例みたいになってしまいました。