期待と失望 2

From:眞田

「期待」をしてそれが実現しなかったときに、失望が生まれて感情が出てしまうのであれば、期待をする対象が現実的か非現実的か、コントロール可能か不可能か、を検討することは感情コントロールをする上で大切なことであると考えます。

「こうなってほしい」「こうあるべきだ」そう思ったことが非現実的であり、単なる自分の願望を投影した妄想にすぎない場合、またはコントロールできると思い込んでいるが実際はコントロール不可能であるものの場合、不合理な感情が強く出てしまいがちです。

昔、ある生徒に「塾に何を求めるか」と質問したら「勉強のやる気を引き出してほしい」と生徒は答えました。

確かに、勉強のやる気のない子をやる気にさせることができ、毎日何時間も勉強に向かっていても飽きずに集中させることができる方法があるならそれはいいと思いますが、果たして、やる気って引き出せるものなのでしょうか。引き出す引き出せない以前に、そもそも「やる気」ってあるのでしょうか。

この問に関しては「やる気」の定義を明確にしないと話がかみ合わないと思いますが、今回は「やる気論」を展開したいわけではないのでやめておきます。

私は結論をいうと「やる気はない」という立場に立っており、やる気を引き出したい、引き出してほしい、モチベーションを管理したい、そういった期待は非現実的な期待であると考えています。

非現実なことを実現できると期待して、その方向で努力したとしても、期待を満たされることはなく、「なんでうまくいかないんだよ」と不満やストレスを抱え続けることになります。

株式投資とかだって、上がるのか下がるのかを見極める勉強している人がたくさんいますが、そもそも上がるのか下がるのかわからないものであったとしたら、どれだけ勉強したとしても、上下がわかるようにならず、ずっと失望にはまり込んだままになります。

期待をしたとき、その期待の対象がどういった種類のものであるか、を検討する必要があります。ただ一つ大事なことは、現実的か非現実的か、それは簡単にわかるものではないということです。自分なりに思索をして、最後は自分で決めるしかありません。