特別扱いをしてもらう
From:眞田
私は子供のころから色々なことに対して、できるようになりたい、上達したい、という気持ちを強く持っていました。
子供ながらに、できるようになるためには何が必要なのかを考えて出た結論は、誰かに引き上げてもらう、ということでした。自分だけの努力では限界があるように感じたのです。
何より一番ネックに感じていたのが、自分だけだと自分の枠の外に出ることが非常に難しいということです。自分で考えると自分の思考の外になかなか出ることができません。自分の思考の外に出してくれる先生につくことが大事だと判断しました。
次に思ったのが、先生に教えを乞うにしても、One of themになってはいけない、です。たくさんいる生徒のうちの一人、になってしまっては全然伸びません。一般に埋没したらそこで終わりです。たくさん生徒がいたとしても、自分だけを特別視してもらわなければいけない、常に気になる存在になって、ついついアドバイスしたくなるような存在にならなければいけない、そう思いました。
そしたら、特別扱いしたくなるような生徒ってどういう生徒なのか、と考えていくのですが、まあそれは置いておきます。大人の様子を伺いながら、そういったことをよく考えていました。
私の息子は5年生から野球を始めて、運動神経はそれほどよくなく、野球も好きではないので(プロ野球は一切見ない。球団名や選手も知りません)、全然うまくありません。その上、ひたむきさを見せるとか、下手なりに頑張る姿勢をみせるとか、そういったこともないので、これは指導者にハマらないなあ、と思って練習の様子を見ていました。
褒められたこともなかったのですが、6年生になった今年の夏の試合の時、ある指導者の方がふと「息子さん、かまえがよくなってきましたね。打席の様子を見ていて期待ができるようになってきた」そうおっしゃってくださいました。私はこの言葉を聞いたときに、チャンスだ!、と思いました。すぐにそう褒めてもらえたことを息子に伝えにいき、その後でまた指導者にこう言いました。「息子はこれまで褒められたことがなかったから、とても喜んでいました。たぶん〇〇さんのいうことには素直に聞くと思いますので、これから色々教えてあげてください」
それからは、練習の時にその指導者から息子はたくさん教えてもらうようになりました。息子も自分を認めてくれた方の言うことは取り入れようとします。練習の様子からも言われたことを忠実にやっていますから、指導者も「アドバイスを聞いてくれて上達していくから、教えていて楽しい」とおっしゃっていただけました。私は練習があったときは息子に、今日は何を教えてもらったのか、その結果どうだったのか、を必ず聞いて、次の練習の時に、指導者に息子が言っていたことを伝えるようにしていました。
最終的には息子のことを「お前は人間的に素晴らしい」と褒めてくださるようになり、私はそれはどうだろうとは思いつつも(笑)、そのように接していただけることに感謝の気持ちでいっぱいでした。また、学校の運動会のときも、息子がかけっこでゴールテープを切る最高の瞬間を写真に撮ってくださいました。
で、その写真を見て思ったのですが、そのアングルから写真を撮ろうと思ったら、撮影場所の場所取りをしなくてはいけないことに気づきました。指導者の息子さんはまだ低学年で走る番ではありませんから、わざわざ私の息子を撮影するためにその場所にいって撮影してくださったのです。親以外で、このように気持ちを入れて接してくれる大人がいるということは子供の成長にとって非常に大きいです。
そしてこの冬、小学6年生の最後の公式戦がありました。予選突破をかけた非常に重要な試合で、最終回で2点負けていました。息子に打順が回ってきて、同点の2点タイムリーヒットを打ち、サヨナラのランナーとなり、奇跡の逆転勝ちをすることができました。そして予選を突破しました。あんなにうれしそうに、得意げな息子の表情は初めてでした。指導者にこれまでの感謝を伝えても「いや、俺は何もしてないよ」とおっしゃるのですが、指導者のおかげであることは言うまでもありません。
ただ一つ残念なことは、息子自身は自分が上達していくことになった、この一連の流れを全く分かっていないということです。単純に、「〇〇さんが教えてくれたから、自分は上手になった」くらいにしか思っていない。そんなレベルのやつが「中学に入ったらテストで1位取る!」と言っているんですが、どだい無理な話です。