誰を評価するのか

From:眞田

誰かに教えを請う時には、まず教わる側が教える側を評価します。「自分は誰に教わりたいのか、自分で判断する」そう思っておくことが大切です。

初めは自分が未熟なために、いい人をだめな人側に分類したり、だめな人をいい人側に分類することがあるかもしれません。でも未熟なりにも判断し続けることで、だんだんと見る目が養われていきます。

この人から教わりたい、と思ったら、次は教える側の評価の獲得を目指します。教える側も誰に教えるのか選択の自由があるので、教える側のお眼鏡に敵わなければ、教えてもらうことはできません。

私の英語の先生はとても素晴らしくて、英語を教わるならこの人以外いない、と思える方ですが、初めは自分で先生を「評価」しました。信頼のおける方からの紹介で引き合わせてもらったのですが、自分なりにも検討しました。

英語や日本語を見て、どんな文章を作る人なのかを見極めようとしました。親の口癖は子供に移るように、先生の英語表現はそのまま私に移植されます。先生の言葉の表現を見ると、とても穏やかで、温もりのある表現に感じられて、ああ、これは自分の感覚にばっちり合う、と思ったのでした。

これを言うと、「どの口が言っているんだ」と思われてしまいますが、私は人を非難したり、責めたりする表現が好きではありません。そしてそういった表現や態度をとる人とは性格が合わないことがわかってきました。

コロナに罹った人を攻撃したり、マスクをしない人を責めたり、審判の判定に文句言ったり、店員さんに横柄な態度を取ったり、こういうのはあまり好きではありません。もちろん、私もいろいろな人格があって(多重人格障害ではありません)、他人に攻撃的な態度を取ることもありますが、自分の感覚だと、基本的な自分は人を責めることが好きではないように思います。

この人についていきたいと思ったら、後は口説いて自分をアピールするだけです。先生に自分を認めてもらわなければいけません。「こいつは他のやつと違うぞ」そう思ってもらえるように、やりすぎないようにバランスを図りながら、いい具合にアピールしていきます。

私はいい先生に出会えましたが、教え子としては全然だめです。言われたことを、全くやらないからです。だから結果も出せないし、結果が出せない弟子は付き合っていてつまらないです。先生は能力が非常に高くて、売れっ子でどんどん忙しくなっていっているので、このままでは私の存在は忘れ去られてしまいます。

そろそろ完全に忘れ去られてしまわないように、頑張って勉強をして、良い弟子であることをアピールしなければ!と思いつつも、数ヶ月が過ぎてしまいました。なかなか勉強って大変ですよね。