鰻が取れる川

From:眞田

昔の人は、

「鰻が取れる川は人に教えるな」

「松茸が取れる山は人に教えるな」

と言われていました。

理由はご承知の通り。人に知れ渡ったら、一瞬にして鰻はいなくなるし、松茸は取れなくなってしまうからです。だから、優位性を守るために、家族、または一部の地域の人のみで秘密にされていました。

「〇〇にいくと悪霊に祟られる」

「ここからは神の領域にて、立入禁止」

のような先祖代々の言い伝えも、特定の利益から人を離すためにあったのではないかと思ったりします。

昨年、私が師事している先生が浜松に用事があると東京からいらっしゃったので、私は車を出しました。用事を済ませた後は、餃子や鰻を食べまくりました。1日に4尾も鰻を食べて、うんちびちびちになりました。

浜松には全国的に有名な餃子のお店があります。私がその店の前に立っていると、近所のおばちゃんが、「ここねえ、もう予約が取れなくて近所の人も全然いけないの。おにいちゃん、1年前くらいから予約取ってたの?」と言ったので「いや、昨日取りましたよ(私が予約したわけではありませんが)」と答えたらびっくりしていました。

予約困難店でも予約を取れる(かもしれない)方法があるのですが、この方法をみんなが知ってしまうと、機能しなくなってしまいます。まあ、そんな無理していきたくねえよ、という人がほとんだと思いますが。

秘密を守ることがより徹底されているのは、パチスロとか投資家ですかね。ここはまさにお金に直結するところだから、グループでやっているところは厳しい掟があったりします。パチスログループで勝てる方法を人にばらした場合は大変な制裁があることもあると聞いたことがあります。

投資家たちの仲間でも、私が知る限りではやり方を人に話すことはありません。一人一人が勝ち方を見つけてこっそり儲けている感じ。集まってみんなでご飯食べても、やり方を話し合うことはないです。そもそも投資ってじゃんけんみたいなものなのに、手の内を本やYouTubeで明かしてしまうなんてありえないと私は思います。勝てないとわかっているから平気で言えるのでしょう。

先月中学生向けの塾通信で「優位性」について書きましたけど、勉強でも何でも「優位性」について考えることはとても大切です。自分は他人とどこが違っているのか。他人と同じであるならば、差はでにくい。

勉強方法について、ぜひ「優位性」を考えてみて欲しいです。おそらく「書いて覚える」とか「ワークを繰り返し解く」とか「参考書の〇〇を使って勉強する」とか、外から認識できる勉強法には、強い優位性は残されていないかもしれません。勉強法の本に書いてあることもそう。他人が通常やる量をかなり超える量をやったら別ですが。

私が一番優位性が残されている可能性があると考えているのが、「知識の収納の仕方」です。学んだこと、考えたことをどのように頭に整理して収納しているのか、ここは頭の中の働きなので、外から認識することが非常に困難です。人の勉強する様子をずっと張り付いてみていたとしても、ほんの少しわかる部分はあったとしても、ああ、そんなふうに知識を入れているのね、と全体像を把握することは難しいでしょう。頭の中を覗くことなんかできませんし、かなりブラックボックス性が高いです。

ここは模倣が簡単ではありませんし、だからこそ優位性が残されている領域だと私は思います。そうはいっても、ほとんどの人がこの点について真剣に考えることができない、考えようとしたところで何も考えられないのが現実です。