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From:眞田
おじさん(母の兄)の病状が思わしくなく、母はちょくちょく病院に行っていました。そしてとうとう命が危ない状況になり、病院から連絡が入りました。
病院に行って、容体を持ち直して、家に帰って、帰っているところにまた病院から連絡が入って、病院に行って、容体を持ち直して、家に帰って、という状況でした。
母を責めるとか馬鹿にするとかそういうのでは全然なく、冷静にこれを見ていて、なんだか死ぬのを待っているみたいだ、と思いました。
赤ちゃんが生まれそうで、病院に駆けつけるというのはわかります。待ち望んでいることですし。あとは大けがして病院に運ばれて、駆け付けて「命が助かりますように」と願いながら、待つのもわかります。
余命幾ばくもないことは明白で、家を片付けて終活を終えている。そういう状況であるならば、私は危篤になっても駆けつけたくありません。亡くなったら、駆け付けます。危篤の状況で待つことはしたくありません。
待つってなんだよ、と思ってしまう。何のために椅子に座って待ってるの?何を待っているの?死ぬのを待っているの?死ぬのを待つってなんだよと思う気がします。
もう回復の見込みはない、となったら、できるだけ意識のある間に会話をしておいて、さよならと感謝を伝えたい。意識がなくなって、脈や呼吸が弱くなっているところに駆けつけたくはありません。
もし、そういう状況になったら、臨終のときには傍にいてあげたい、と思うのかな。でも今の私の気持ちは、意識があるときに会っておきたい、満足するまで会っておきたいです。
そんなことを思ったのでした。