正しい現実認識


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From:眞田

 

テスト勉強をしているときに「まだ点数が取れない気がするので、同じプリントをください」と言ってくれた子がいました。その子はそのプリントをやり終えて、「まだだめなので、またプリントをください」と言ってくれました。

 

素晴らしいです。

現実認識がしっかりできていることが素晴らしい。私も見ていて「点が取り切れないだろうなあ。でももう一回やりなさいとは言いづらいし・・・」と思っていたところでした。

多くの子がこれができないのです。自分の力が足りていないことを本心では受け入れられず、理解できたと思い込もうとします。

 

「現実」それ自体は中立で、良いも悪いもありません。

でも、自分の理想が現実で実現されていれば、良いとするし、そうでなければ、悪いと判断してしまいます。

 

良い悪いを判断することは別にいいのですが、大事なことは、現実を知って次の対処を決めることです。喜んだり、落ち込んだりするのではなく(感情的になってもいいのですが)、「これが現実か。じゃあどうする?」の部分が非常に大切です。(「じゃあ、どうする?」を適切に判断するためには、やはり、あまり感情的にならない方がいいです。感情的になってしまうものは仕方ないのですが)

 

私たちは現実を生きていくのだから、現実に対処していかなくてはなりません。うまく対処していくために現実を知る必要があるのです。

勉強だったら、実際に問題を解いてみて解けるかどうか、テストをやってみていい点が取れるかどうか、で現実を知ることができます。

 

 

ちなみにその子は、このブログの数少ない貴重な読者様でありまして、それだけでセンスを感じます 笑。このブログを見つけて、「この塾、いいね」と入塾してくださいました。中学1年でこの塾の良さがわかるとは。まさに1億年に1人の逸材。

だから私の本心も少しは分かってくれるので、気を遣うレベルを下げられるから楽です。

 

テスト週間中も、

私「このプリントどうでした?わからないところはありましたか?」

読者様「大体わかりました」

私「だいたい?」

読者様「あ、いえ、多分今のままだったら点が取れないと思うので教えてください」

というやり取りがありました。

 

そのセンスの塊の読者様は、私の「だいたいわかっただと?何だ、その言語表現は。わかったか、わからないかのどちらかしかねえんだよ。十分な検討がないから『だいたい』だなんて曖昧な言葉が出てくるんだ。そうやって雑に問題に向かってんじゃねえ!」という私の気持ちを汲んでくれたのです。

そしてこの子なら私の言わんとしていることもある程度は受け止めてくれるかなというのがあるので、ちょっと自分の思っていることを出せます。

 

 

 

そういえば、全然話は変わりますが、1月に実施された中学2年生の実力テストですが、この塾の生徒によると、冬休みの宿題のワークから出題されていたそうです。

一応、息子にも聞いてみたのですが、冬休みの宿題は全部答えを写したそうで、「宿題から出ていたかなんか、わかるはずないじゃん」と言っていました。