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From:眞田
子供の頃は遺伝なんて全然気にしていませんでしたが、自分が大人になると、自分の子に自分を感じたり、鏡の中に20年前の親を感じたりして、親子って似るものなのだなあと遺伝の神秘を感じるようになりました。
私が遺伝を意識したのは大学生の頃です。
偶然、東京駅でおじさん(母の兄)を見つけました。このとき、「あ、おじさんだ!」と思ったのではなく、「あ、自分だ!」と思ったのです。背格好や雰囲気がまさに自分でした。
おじさんには小さい頃会ったきりで、見かけるのは十数年ぶりだったのですが、すぐにおじさんだとわかりました。おじさんは若い頃に事故にあい、普通の人とは違う身体的特徴がありますので、それを確認して、やはりおじさんか、と思いました。
もちろん、話しかけてはいませんよ。見かけておしまい。何話したらいいかわからないし 笑
このときに、自分は母の血が強いのだ、ということを認識しました。それからは母の末路が自分の末路だと思って(末路ってw)、母を見るようになりました。
その私の母は60歳を過ぎ、食事中によく咳き込むようになりました。
のどには胃への道と肺への道があり、飲食物を飲み込もうとするときは、肺への道の門が閉ざされて、胃の道に飲食物がいくようになっています。しかし、加齢とともに門番の働きが悪くなって、肺への道に飲食物が入るようになってしまったのです。
最高司令官総司令部の脳様に判断を仰いでいたら遅くなるから、嚥下反射で迅速に指令が下るようになっているのに、それでも間に合わないという・・・
そして、40歳になった私も、母ほどではないですが、少し気管に入るようになってきてしまいました・・・
食事中に咳き込む母を見ながら、母は誤嚥性肺炎で死ぬのだろう、と思いました。
そして、私の死因も誤嚥性肺炎。母の末路は私の末路だから。
でも、私はあきらめていません。私はこれで死にたいという、理想の死因があるのです。
それは、「お風呂の中で熱中症」です。
私は、お風呂が大好きです。だから最後はお風呂の中で死にたい。誤嚥性肺炎は苦しそうだから嫌です。
肺炎で死ぬのか、熱中症で死ぬのか。答えはどちらでしょうか。