特別講座の意義とその難しさ

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From:眞田

 

大変な病気になったとき、どんな医師に診てもらいたいか。

 

過去のデータでわかってることを淡々と伝え、厳しい数値を伝える先生

「今は良い薬が出ていますし、治る可能性は十分ありますよ。一緒に頑張りましょう」という先生

 

多くの人にとっては後者の先生に勇気づけられて、安心してお任せしたい、と思うのではないでしょうか。

 

私は塾の先生として、大丈夫だよ、合格するよ、と常に言ってあげたい。

もし仮に不合格になっても命を失うわけではありませんし、できるだけ前向きな言葉をかけてあげたいと思っています。

 

しかし、難関校向けの指導の場合は特別講座が用意されていることが多く、特別講座の受講に誘導することにもなってきます。ここが難しいところです。

前向きな声掛けが、特別講習を売らんかな、になってしまってはいけません。

 

例えば、東京大学志望の子がいて、塾には東京大学合格講座基礎が用意されていたりします。東京大学合格講座標準、東京大学合格講座プラスもあるかもしれません。東京大学合格講座スーパー、東京大学合格講座プレミア、東京大学合格講座【極み】、なんて段階を踏んでたくさんあるかもしれません。

 

東京大学に合格するためには受講してもらいたい。受講する子と受講しない子で教えることやサービスが変わって、そこは明確に差になってしまうからです。かといって、現時点では合格可能性はどちらかというと低い気がする・・・。でも親切心で「合格可能性は低そうだから、受けない方がいいよ」というのはおかしいです。

たくさん受講させて不合格にさせてしまっても信頼を失いますし、合格可能性は低いから、とそもそも特別講座をオファーしないというのも、「なんでうちの子だけ東京大学合格講座の案内がないの?」と不信を買います。

 

 

塾としては必要だと思うから、特別講座を準備しています。だから準備しておいて、受けなくても大丈夫だよと伝えるのは違います。絶対に受講してね、も違います。このあたりのバランスは現実的にうまく取ることはできなくて、どちらかに偏ることになります。保護者様が様々なことを考えて最終的にご判断いただけたらと思います。

私は性格的に、受けても受けなくてもどちらでもいいですよ、やりたい人がやってね、という押しの弱いスタンスを取ることが多いと思います。

 

 

私が特別講座を用意する目的は、特別扱いをすることにあります。

この塾を始めた当初は、みんな同じように教育サービスを提供したいと考えていました。特別講座を設けてそれを申し込んだ子には教えて、申し込んでいない子には教えない、なんて嫌だなと思っていたのです。

はじめはこれがやりやすくてよかったのですが、だんだん、「やらない」を選択するようになっている自分に気づきました。

 

生徒と一緒に勉強していると、これをやった方がいい、と思うことがあります。でもその子一人だけにやることはできず、平等性を考えたら、全員にやらなければなりません。

数名だけなら対応できることも、それを50人、100人に対応しようと思うと大変です。

気合で乗り切れないこともないですが、疲弊するやり方は長続きしません。それならやらない方がいいです。

 

あと、良かれと思って、気合でプリントなどを準備したところで、ほとんどを手つかずで捨てることが多いです。

みんなのためにと思って、食材買ってきて、料理を頑張って作ったのに、ほとんど手をつけてもらえなかった。生ごみとして作った料理を破棄しているときは、虚しくて、一気に疲れが出るでしょう。

プリントを捨てるときはそんなに虚しさはないですが、それでも、金銭的、時間的コストを使って何無駄なことをしているのだろう?とは思ってしまいます。

 

特別講習を用意して、別途受講料を頂くことにすれば、申し込んでくださる方は少ないですし、特別扱いをする理由付けができます。結局、これがやりやすいことに気づきました。

 

 

6月の中学生の定期テストが終わった時は、次はもっと成績を上げてあげるぞ、と思ったのですが、それは少し違うか、と思い直しました。生徒の授業回数も違う中で、みんな同じようにサポートしようとする意識は違います。授業数が週1回の子と週2回の子と週3回の子で、成績の伸びが違うのはおかしなことではありません。渡すプリント量が変わってもおかしなことではありません。

やれる範囲でやれるだけのことをやる、この方針で進んでいきたいと思います。