計測可能な領域に入れ 2

From:眞田

計測可能ということは、数値化できるということであり、検証可能ということであり、反証可能ということです。

これらを満たす領域に入れば、正しいのか間違っているのかを把握しやすくなり、目指す方向へ進みやすくなります。

「数字ですべてが評価できるわけではない」

そう批判できるわけですが、私はこの意見に対してその通りだと思います。数字ですべては判断できない。

しかし、数字がすべてを評価しないと分かったうえで、数字で評価していくのはよいと考えています。というよりも、それ以外の適切な評価基準が浮かんでこないです。

私は街づくり団体に所属しています。社会性の乏しい私は、こういった団体に入って社会生活のリハビリしているのです。

田原市は少子高齢化の波にのまれ、人口が減ってしまっているので、毎年のようにその団体では田原の人口減を食い止めるにはどうしたらいいのかという議論になります。

「田原には魅力がたくさんある」

「田原の魅力を知ってもらおう」

こんな意見が出てくるのですが、私は「果たしてそうだろうか。誤った自己評価ではないだろうか」そんな気持ちが心に出てきてしまいます。

人口が減っている時点で、それは魅力が弱いといえるのではないでしょうか。

この人とても魅力的な人なんです、と言われてもその人に全然友達がいなかったり、異性からもてなかったら、やっぱりそれは魅力があるとは言えない気がします。

私は高校生の将来の夢や志望校を聞いて、少しでも助けになればいいなと思っていますが、「今のところ特にいきたい大学もない」「両親には自分の好きな大学に行けと言われている」という子には「東京の大学に行こう」とアドバイスしています。その理由は日本全体が人口減に突入した今でも人が流入しているからです。つまり私の判断でいうと、魅力があるといえます。東京を勧める理由はただそれだけです(本当はそれだけではありませんが)。

人は環境に適応するので、田舎に住んでいる人は田舎の生活に慣れています。修学旅行などで東京に行くと、「人が多い」「疲れる」「うるさい」「緑がない」「せわしない」「やっぱり田舎がいい」なんて感情が出てきます。

だから、旅行などで一時的に東京にいくのではなくて、数年東京で生活してみてほしいのです。数年生活したら、自分が東京で生活するのが合っているのか、田原で生活するのがあっているのか、より感じやすくなると思います。

大事なのは自分に合うかどうかなので、両方の生活をしてみて、田原の生活のほうが自分に合っていると思ったら、戻ってきたらいいのではないでしょうか。