実感がないとわからないが、それでいい


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From:眞田

 

新学年が始まり、高校生は学校の授業が進み始めました。

 

3月に通ってくださっていた新高校1年生の子は十分予習が進められたので、クラスメイトが苦戦している中、自分は余裕綽々で授業を受けられると思います。

 

予習の価値というのは、まず学校の授業を受けられる前に全体像を把握できていることにあります。

そして、どこが簡単でどこが難しいのかも把握できています。だから、自分が理解しきれていない箇所の説明に入ったら、集中して授業を聞くようにする、ということができます。説明を受けるまでも分かっている個所は、ワークを自分で解いていればよいのです。(お年を召した先生は授業中に別のことをしていると怒る傾向があるので、そこは自分で判断してください)

 

 

時習館高校に通っている子が「予習されていることが前提に授業が進んでいく。進みがめちゃ速い。貯金がなくなる」と焦っていました。

でも私はずっと口を酸っぱくして言っていたのですよ。進みが速いよ、できるだけ先に進めよう、って。それに対して「はい、わかりました」と言っていたのですが、現実に直面してようやく意味がわかったようです。

 

でも、私はそういうものだし、それでいいと思っています。ただ、他人から口で言われてもピンとこないものです。実感したら動き出したらよいのです。

 

勉強へやる気がない子に親は頭を抱えるものですが、これは仕方ないです。一時的には勉強に向かわせることができますが、あくまでも一時的です。自らの必要性を実感しない限り行動変容は難しいです。

実際に授業が速ければ、勉強せざるを得ないですし、クラスメイトが優秀だったら、置いていかれないように頑張ろうと思うものです。いちいち他人が「勉強頑張んなさいよ」と言うようなことでもない。

だから、できるだけレベルの高い高校、大学に進学すべきだと思うのです。この「環境」こそが大きな価値です。