計測可能な領域に入れ 3

From:眞田

計測可能ということは、数値化できるということであり、検証可能ということであり、反証可能ということです。

これらを満たす領域に入れば、正しいのか間違っているのかを把握しやすくなり、目指す方向へ進みやすくなります。

また、これは同時に、なんだかよくわからないものは目指さない、ということでもあります。

私は中学生のときに哲学に興味を持ち、西洋哲学、東洋哲学の本を読むようになりました。そしてその流れで仏教に興味を持つようになり、「悟り」の境地に達したいと思うようになりました。

「この世を如実に捉えるために、悟りを得たい」と本読んだり、座禅っぽいことしたりして、頑張っていましたが、今は目指していません。

なぜなら、

よくわからないから。

考えてみたら、「悟る」という状態がどんなものなのかわからないし、自分の身の回りに悟った人がいないからイメージがつかないし、今の自分が着実に「悟り」に向かって進んでいるのかもわからない。

ということで、諦めました。

ただ、「悟り」を否定しているわけでもなく、いつか悟れたらいいなあとは今でも思っていますが、そこに向けて頑張るつもりはありません

同じように、立派な人間になろうとも思っていません。立派な人間になりたいとは思っていましたが、改めて考えてみて、(私は)立派な人間とはどんな人間なのか定義づけられなかったからです。

よく大人は子供に向かって「将来、立派な大人になってほしい」と言ったりしますが、そういう本人が立派な人間になることを目指して日々努力しているとは私は思わないです。もし立派な人間になろうと本当に目指していたとしたら、もっと具体的に立派な人間とは何なのか、どうしたら立派な人間になれるのか、を示せるはずです。立派な人間になるためのステップバイステップを示せるはずです。

私は残念ながら、立派な人間になるためのステップバイステップを示すことができないので、自分の子供にも立派な人間になることは求めていません。

「優しい人になる」というのも私は目指しづらいなあと思いましたが、領域を限定したらいいかもしれないと今思いました。例えば、「家族に優しい人になる」とか。「家族」と領域を限定したら目指しやすいかもしれないです。

(※一般的に領域限定は力不足の表れです。文章を書きながら、自分の実力不足を再認識しました。)

「家族に優しい人になる」という目標を立てたら、毎日寝る前に「今日のお父さんの優しさに点をつけるとしたら、10点満点で何点?」と家族に評価してもらう。それを週ごと、月ごとに集計して数値の変化を見ていく。

これをしたら自分の家族に対しての優しさレベルを測れて、努力しやすそうです。

優しさの評価は客観的なものではなくて、評価者の主観に左右されますが、だからこそ、評価者のレベルアップにもつながるという利点もあります。はじめは「お父さんはゲーム買ってくれなかったから、今日は0点」とかも十分考えられますけど、ずっと続けていたら評価する側も優しさとは何なのかをより考え始めるはずだから、評価の適切性が上がっていくでしょう。

これはやってみる価値がありそうなので、やってみようと思います。

私は外ではそれなりにやっているつもりですが、家だと、ごろごろ、だらだらしてます。これは完全に家族に対して手を抜いていて、「家<仕事」と捉えている表れです。これではいけないですね。