教育方法


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※体験授業や保護者面談は基本的に指名があった場合のみ、眞田が担当します


 

From:眞田

 

本日、保護者様と面談させていただいたのですが、緊張していてお母さんの問にうまく答えられなかったと思うので、再度ここに私が思っていることを記したいと思います。

 

私は、ああしなさい、こうするといいよ、と指示したりアドバイスしても、基本的には人は耳を貸さないものだと思っています。人間は本質的に耳を貸すのが嫌である、という認識を持っています。人を思い通りに動かしたいと思っていても、自分は他人の思い通りになりたくはないのです。

人には「素直であれ」と言い、自分では素直で柔軟性がある人物である、と思いつつも、本当は素直ではありません。

 

 

お父さんやお母さんからしたら、「なんでこの子は言うこと聞かないんだろう」と思うことばかりかもしれませんが、聞かないのが普通だと思っています。

私たちは親ですが、自分が子供の頃、親の言うことを素直に聞いていたでしょうか。今でも親のアドバイスには耳を貸していますでしょうか。

親の言うことはよく聞いていたし、今も聞いている、という方はいらっしゃるかもしれませんが、少数であると思います。

 

それではどうしたら、現状を変えられるのか、についてです。

これは、これまでの私の経験や観察によって得られた結論であり、違っていたり、よりよいものがあるかもしれません。保護者様で別の知見がありましたら、また面談等でご教授いただけたらと思います。

 

 

 

人は、人から言われたことを受け入れることには抵抗がありますが、自発的に「それいいな」と思えたことは取り入れようとします。

 

例えば、

席替えをして隣に勉強ができるA君が来た。「確かA君は学年1位の子だったはず。こんな頭のいい子が隣だと嫌だなあ」と思いつつも、隣だからA君のふるまいが目に自然と入ってきます。

勉強している様子も目に入ります。「あれ?A君何やってるんだろう。自分の勉強の仕方と全然違うぞ」

 

「ねえねえA君、それ何やってるの?変わった勉強方法だね」

「そう?いつもこうやって試験勉強してるんだ。結構覚えられるから、B君もやってみたらどう?」

「うん、次のテストで試しにやってみるよ。やり方詳しく教えて」

 

こういう流れが一番自然で、自分を劇的に変えることができるのです。こうしなさいと言っても聞かないですが、自発的にやってみようと思えたらやれるのです。これまでのダメダメだった自分を捨てて生まれ変わることができるのです。

 

私のように捻くれたプライドの高い人間は、素直に聞けないがら、ずっと観察して盗み取ろうとします。どっちにしろ、自分をよりよく変えようとしているのには変わりありません。

 

「A君、テスト2週間前なのにもうテスト勉強を始めてる。僕はいつも3日前からなのに・・・。今回はA君みたいに早めに勉強しよう」

こういうことだってあるでしょうね。

 

この塾でも、渥美農業高校にいきたいと言っていた子が、3年のクラス替えがきっかけで仲良くなった子が豊橋南高校を目指していて、自分も豊橋南高校にいきたい、と急遽進路変更した子が過去にいました。

お父さんとお母さんが一緒に面談に来てくださって「今のままでは無理なのは承知しています。でも覚悟を決めるならこの4月じゃないと本当に無理になります。南高校にいくつもりで指導お願いします」とおっしゃって下さったことがありました。

その子は口だけでなく本当に毎日4,5時間くらい勉強して、3年の定期テストはテストがあるたびに順位を上げて、内申点もたくさんあげて、合格してくれました。

 

 

だから私は、「良い教育」とは、正しい方向性を指示したり、アドバイスすることではなく(どうせ聞かないから)、「良い環境に入れること」である、と考えています。そうしたら、周りに感化されて勝手にレベルアップしてくれます

 

ここでいう「環境」とは、主に「人」です。時間を過ごす場の住居環境とか美的センスを高めてくれるオブジェとかそういうものも大事ですが、一番は「人」です。

人は人から受ける影響があまりにも大きすぎる。だからここを軽視してはならないです。一番重視します。いい影響を与えてくれる人というのは色々な定義があると思いますが、端的にいったら、学力レベルが高い人が良い影響を与えてくれる人だと私は個人的に考えています。

 

子供の頃、もう記憶が曖昧なので、実体験なのかテレビドラマで見た話なのかわからないですが、「あんな子とは遊んじゃいけないよ」「お母さん、○○君とはあんまり遊んでほしくないな」こういった言葉を聞きました。

貧乏人の私は「なんてひどい大人たちだ。育ってきた環境とか現状の生活レベルとか、そんなの人の本質とは関係ないじゃないか。大人はバカでどうしようもない。この俺よりも歳を重ねてきている癖にこのありさまか。世の中のことが全然わかっていない」と呆れていましたが、今大人になってみると、これは厳しい言葉であるが、現実的に大切なことであると思うようになりました。

 

 

私は、首都圏の「お受験」とか「教育ママ」とか、そういった言葉から受験に熱心な親を小バカにする雰囲気を感じますが(これは私の勝手な思い込みかもしれません)、私個人的な考えでは、親として至極当然な、まっとうな教育方針であると思います。

教育において「良い環境に入れる」ことは一番大事な部分なのだから、一番力を入れるに決まっています。もちろん、受験ノイローゼみたいになって親も子も病的なレベルで疲弊するのは本末転倒ですが。

 

「のびのび」「子供の好きなように」「自由に」「主体性を伸ばす」が教育に重要ではありません(私の個人的な考えです)。レベルの高い人に囲まれる「良い環境」でのびのび育つのはいいと思います。「のびのび」はストレスなくてよさそうだけど、それだけでは何も「伸び」はしません。「良い環境」が圧倒的に影響力が強く、優先順位が高いです。「良い環境」に入りさえすれば、枝葉末節は何でもいいかなと思っています。

 

※何度も書いていますが、今回書いた内容はすべて私個人的に思っていることにすぎません。間違っていることも多いと思います。自分の無謬性は肯定しません。