大好きだった先生

私はこれまで色々な方々の影響を受けてきましたが、特に子供のころは学校の先生に教わったことが多いと思います。この先生と出会わなければ今の自分はなかったと思える先生は数人いますが、そのなかでも、すぐに頭に浮かんでくる先生は小学4年生の時の先生です。

 

その先生は拳法(少林寺拳法かな?)をやっており、いろんな技を教えてくれました。男の子は強いものへの憧れがありますので、まずそれだけでも魅力的なのです。そして「お前らなんか束になっても俺には勝てねえぞ! さあ、殴って来い!」とお腹にパンチさせてくれました。おもいっきりパンチしても平気な顔をしている先生は本当にかっこよかったです。

そして、先生は暇だから毎日何時間もゲームしていると豪語し、ゲームの話をたくさんしてくれました 笑。私も先生と同じゲームにはまっていましたから、話をきくだけで先生のゲームのすごさがわかりました。子供ながら大人なのにゲームばっかりやってちゃだめじゃん、とは少し思いましたが、そんなことより毎日先生とゲームの話をたくさんできることが楽しくて仕方ありませんでした。先生とゲームの話をするために、家に帰るとゲームをたくさんやったのを覚えています。

 

ざっくりとしたてきとうな感じはなくもないですが、きさくなたのしいお兄ちゃん先生という認識から変わってきたのが、算数の宿題の質問をしたときです。「考えてみたけど分からなかったから教えて」というと「お前が解けない問題、先生がとけるかなー。考えるの一緒に手伝ってよ」と言い、一緒に考えて答えを導いてくれました。そして「お前はすごいな。先生はその解き方は気づかなかったな」と言ってくれました。

そのときは、先生に分からない問題を教えてあげたぜ、といい気になっていましたが、小学生レベルの問題を先生が解けないはずはありません。数学の教員免許をもっていましたし。先生は分からないふりして、いろいろヒントを与えてくれ、手柄を私にもたせてくれたのです。家に帰ってから先生がわざとわからないふりをしてくれていたことに気づいて、より尊敬する気持ちをもつようになりました。

 

また、給食でソフト麺がでたとき、私は手が滑って麺を床に落としてしまいました。まわりで「あ~あ」という声とひそひそ声が聞こえてきます。子供にとってはケンカするとかより、こっちの方が堪えるのです。なんて言ったらいいのでしょうね、あの気持ち。恥ずかしくてみじめで泣きたくなる気持ち。

私がそんな気持ちで固まっていると、先生がすっとやってきてそのソフト麺を自分のお皿に入れ、「ほら」、と自分の分のソフト麺を私にくれました。「でも・・・先生、それきたないよ」というと、「汚いっていったら俺が食べづらくなるだろう。もう食べちゃったから、お前は先生の分食っとけ」と優しく微笑んでくれました。泣きそうになっているところに優しくされるとより涙をこらえるのが大変です。先生の優しさが嬉しくて、あと泣きそうで、ソフト麺の味はほとんどしなかったのを覚えています。

 

先生のおかげで学校に行きたくて仕方なく、いつもより家を出るのが早くなったのはこのときだけです。

本当に楽しい日々だったのですが1カ月しか続きませんでした。その先生は教育実習生だったのです。

 

お別れの時、私はソフト麺のこととかいろいろと伝えなきゃとおもったものの、お別れがあまりにつらくてほとんど話せませんでした。唯一、頑張って住所だけききだせたのです。

それからお正月は先生に年賀状を欠かさず出しました。内容はいつもいっしょです。「先生、はやく先生になって戻ってきて。早くしないと僕は小学校を卒業してしまいます」。残念ながら、再び先生に指導していただけることはありませんでした。

 

先生と出会ってから15年後、私は大学卒業し、いろいろあって田原の塾で働いていました。生徒の話から、田原東部中学でその先生が働いているということがわかり、私はまだソフト麺のお礼が言えていなかったですし、先生にご挨拶に伺いました。さすがにお腹パンチはさせてもらえませんでしたが 笑、優しい笑顔は変わらずでした。

 

先生はおそらく、先生の存在によって大きく感化された人がここにいることを知らないと思います。

「影響」ってそういうものかもしれません。東部小学校の校長先生がおっしゃった「親の無意識が子供を育てる」という言葉に共通するところです。

 

私はその素敵な先生のようにはなれませんが、落ちたソフト麺をかわりにたべてあげられる人間にはなりたいと思っています。これから私の子供が先生にご指導していただけることがあるのだろうか。そうなったらとてもうれしいです。