大晦日

From:眞田

1月から大学入試が本格的に始まっていくので、年末は毎年少し気が重いのですが、今年は重さがあまりありません。高校生と中学生の一部の子が、大晦日でも塾に来て勉強してくれているからかもしれません。頑張ってくれている様子が見られると心が落ち着きます。

今日来てくれた高校生は明日の元旦にも塾に来てくれるそうです。こういう態度だけで、受験はもちろん、その後の人生のいろいろな面でも成功するだろうことは容易にイメージできます。先ほど、「良いお年を」と言ってさよならしたんだけど、10時間後にはまた顔を合わすという(笑)

年末年始は一般的には休む時期かもしれませんが、休むといってもやることがないので、私は毎日塾に来ることになるでしょう。美術館が開いているならいきたいですが、どこもお休みなので仕方ありません。日常が戻ったら、私は遊びに出かけようと思います。

今年は、中学生3年生で嬉しかったことが1つありまして、中学1年生の一番初期に入ってくれた生徒全員がとうとう、学年順位1桁、5科目450点、内申点40超、を達成してくれました。ここまで到達するのに2年以上かかりました。1年生の時の成績を見ると、みんな今より悪く、一番悪い数字では、5科目320点、内申点32という数字がありました。内申点が10以上上がっているなら褒めてあげてもいいかな。

初期のメンバーの一人が、2学期期末テストの前に「自分は何がダメですか?先生が思っていることを正直に言ってください」と言ってくれました。私は基本的に生徒のダメなところは心の中で思っても言いません。特に450点を取るような子には余計に言いづらいです。

でも自分から「ダメ出ししてくれ」と言ってくれたら、本音を伝えることができます。本音を伝えた次の日から勉強の取り組みが変わり、勉強の姿から凄みが感じられるようになりました。ほとんど私は教えることがなく、自分の力で470点を超えてきて、想定していない順位を取ってきてくれました。

なぜここまで学力を伸ばすことができたのだろうか、と考えるのですが、その要因はやっぱりよくわかりません。なので、来年同じような成果を出せるかと言ったらそれはわかりません。

この塾で一番勉強してくれた子たちであることは間違いはないのですが、「努力」と一言では言いたくはありません。よく「○○は天才ではない。努力の天才である」という言い方がありますが、何かを成し遂げたすごい人に対してそのような言い方は非常に失礼だと私は思います。私はずっと側でいろいろなことを見てきて、それを一言「努力」と単純な言葉で片付ける訳にはいかない。何が大事なのかを感じ取る「センス」があったことは間違いないね。

私は「〇〇すべき」と他人に押し付けたい気持ちはありません。「○○すべき」と思っている事はあるけれど、それはあくまでも自分への行動指針であるに過ぎません。自分以外の人が、どんな勉強の仕方をしていても、勉強量がどれだけでも、どんな行動していても、私の方針に不満を持っても、なんでもいいです。ご自由にどうぞ。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれないし、どちらにせよ、結果責任は自分が負うんだよ、って感じです。

ただ、私を信じてついてきてくれるような子は、自分が伸ばしてあげるんだ、と思っています。

もうそろそろ家に帰ろうかな。今日は塾に来たものの、他の仕事していて、塾の仕事は進みませんでした。やりたいことはたくさんあるので、また明日やろうっと。