家康公の尊い御遺訓

From:眞田

戦乱の世を終わらせ、260年もの長きにわたる江戸時代の礎を築いた徳川家康。

その家康の理念は、東照公御遺訓として今日にも語り継がれています。

久能山東照宮公式HP 御遺訓

東照公御遺訓

【人の一生は重荷を負て遠き

道をゆくが如し いそぐべからず

不自由を常とおもへば不足なし

こころに望おこらば困窮したる時を思ひ出だすべし

堪忍は無事長久の基 いかりは敵とおもへ

勝事ばかり知りてまくる事をしらざれば害其の身にいたる

おのれを責せめて人をせむるな

及ばざるは過すぎたるよりまされり】

やはり、天下を治めた人の言葉は違います。自分は家康の言葉を大切に生きていこうと思います。

って、なるわけがないだろう。

「不自由を常とおもへば不足なし」

そんなこと本気で思っていたら、天下を取ろうとは思うはずがありません。しかも家康は天下人では飽き足らず、「東照大権現」という神様になったのです。私はこれまで神様になりたいって思ったことは一度もないから、凄まじい支配欲求だなあと感心します。

「堪忍は無事長久の基」「おのれを責めて人をせむるな」

そういっていますが、家康は「国家安康」「君臣豊楽 子孫殷昌」と方広寺の鐘に刻まれていることを理由に(方広寺鐘名事件)、激怒して大阪城を責めて豊臣氏を滅ぼしています。私のじいちゃんも大坂の陣で殺されました。

天下を取るために大切なこと、実際に自分がやってきたこと、それを後世に伝えるつもりは一切ないのです。こういうのをみると、支配者がどのように大衆支配をしようとしているのかがよくわかります。この遺訓を大衆が順守してくれたら支配しやすいですからね。

徳川政権に限らず、歴史を見てみても大衆支配の基本は、生かさず殺さず、物質より精神を重視させる、現状を肯定させる(そのために差別構造を作る)、清貧・禁欲を上位価値とさせる、こういったところがみてとれます。だから国家運営と宗教が密接に関わってきたのでしょう。

不倫を散々してきた人が、「不倫は最低の行為だからやってはいけない」と言ったとしたら、どの口が言ってるんだ、と突っ込みが入りますが、この家康の堂々とした嘘には突っ込みが入るどころか令和の世でも有難がっている人がいます(ネットでこの言葉が販売されていました)。

久能山東照宮のHPにも「徳川家康公はこの御遺訓通りの御生涯を歩まれ世界に類のない長期平和の礎を築かれたのです。」なんて書いてあるけど、このHPの記事の作成者は歴史を勉強しているのだろうか。全然「御遺訓通りの御生涯」を歩まれていないです。

人間は、実際にどうなのかとか、数値データとか、そういったものよりも、「それっぽい雰囲気」の方に強い影響を受けることがよくわかります。でも自分もそうかもしれない(かもしれない、のではなく、その傾向は間違いなくある)。私も現代の【天動説】を信じていて、【地動説】を否定しているかもしれません。

こんなこと書くと、家康のことを嫌っているみたいですが、全然嫌いではないですよ。むしろ、天下統一された方ですし、こうして大衆支配の仕方を教えてくれていますし、すごい方だなと尊敬しています。